【春祈祷】

2月3日の節分の頃に行われる行事です。

我が家の安寧を神様にお伝えし
昨年1年間過ごして来れたことへの感謝と
お家と家族のお清め
今年もよろしくお願い致しますとのご挨拶

単純なようでいて

ここにどれ程の重要さが込められているのか。

「何になる?」

と言われたらそれまでですが

今では廃れゆく行事がたくさんあり
後継者不足や


開運の神社参りやパワースポットと
言い方を変えたら抵抗はあまり感じませんが

信心とかという言葉には
どこかで拒否反応を起こしている

不思議なものですね

いつからか
自分の、我が身の都合で考えるようになってしまっている

そこからは目を背けたいし
気がつかないままでいたいと思う心。

実際に私も若い時にこんな経験をしました

「地域のお祀りがあるからその日は仕事でもどうにかしてきてね」
と言われました。
若かった私は
「仕事休んでまで行けないし、そこまでしないといけないの?」

と反発をしたものでした
そして、最後は言い合いの喧嘩に発展した記憶があります。

そのしばらく後でこんな話を他所で聞きました。
「現代に合わせて、若い人はなかなか休みも取れないから
今年から休日に合わせてお祀りの日を変えようか
時代だね。」

と言って
その地域は昔からずーっと伝わってきている日ではなく
現代に沿った、自分たちに都合のいい日に決めて
変更したそうです。

その後、その地域では
様々な事が起こったそうです

「日を変えたからだろうか?」

と、元の日程に戻すと
ぴたりとその地域で起こっていることは
止まったそうです。

今の私たちが覚えてない、もしくは
正しく伝わってないだけで
昔から伝えられていることには
とても重要な意味を持つことが沢山あります。

「たまたまでしょ」
「偶然重なっただけじゃない」
「えー、信じられない」
「運が悪かっただけよ」

人ごとならいいのでしょうが
もし

自分が家族が身内が立て続いた時は

笑えなくなりますし
どうしようとなりますよね

私は小さい頃からそういう人たちを見てきたし
経験もしたので
思うのですが

昔の人たちが伝えてきた伝統や行事
今では廃れゆくものの持つ意味を

天皇陛下も最近の代替わり
御交代の時には大きな儀式をしていましたね

この現代ででも
大きな儀式をしていましたね

その意味を考えたら
大小ではなく身近なものから
大切にしたいなと私は感じます

私の住んでいた地域では今でも春祈祷が行われていますが
太夫さんと呼ばれる方も減少し
また、年配の方が亡くなると
家で春祈祷を行う家庭も年々少なくなってきているようです

こんなに家が大変なのに
自分が、会社がと色々とあると思います。
春祈祷で何もかもが良くなるわけじゃありませんが
私は神様事と呼ばれるお仕事をさせていただいて
ご依頼毎に考えさせられます


昔から伝わっていることは本当だった
ちゃんと意味あるものだったんだと

それをどう感じて
どう考え
どう行動するかは自由で

想いは人それぞれなのでいいとおもうのです

ですが
大事にして欲しいなと感じてやまない
行事であり儀式の一つの

「春祈祷」

そして

私にとっての春祈祷は
もちろん冒頭の意味もありますが

神さまとの縁(えにし)
年を重ねる毎に深く強くして
感謝とともに愛をいただき
また愛を返す。

家の神さま
神棚の神さま
土地の神さま
日々お世話になってきている
去年もお世話になった
助けてくれている目に見えない存在の方々
自分だけの存在ではなく
生かされている
助けてもらっている全てに改めて
感謝を捧げる
愛を持った
そんな素晴らしいひと時

それをくれるのが

春祈祷

そして私もまた優しさを思い出し
忘れていた感謝を思い出し
自然に感謝を思い出し

家族に 友達に 親しい人に
知らない人に

いい気持ちで向き合える

そんな春祈祷が伝わればいいなと願います