神様と共に生活をし、神様と共に生きる国であり
全国各地に伝わるお祭りは人々の娯楽の為ではなく
神様へ捧げるお祭りだという事実をご存知でしょうか
元号が令和に変わった時
伊勢神宮での天皇両陛下の儀は記憶にも新しい事
神話や伝説、各地に伝わる話はおとぎ話ではない事をご存知でしょうか
パワースポットだから
ご利益があるから
何かがあるからと一方的に受け取る為だけではなく
形ではなく心から
共に生きてくれる
心ある方に届く事をここにお祈り致します。
神様からの守りが少なくなった日本人たちへ
〜 神様に愛され守られる方法 〜
「本当に大切なものは目に見えない... 人の心が見えないように」
大切なあの人の心が見えないように
それらは簡単に確認することもできません
唯一できるのは信じる事です。
自分の心を
相手の心を
そして本当に大切だとおもえるものをです。
昔は、どの家庭にも神棚はあり
2月3日の節分の前後には春祈祷をし
地域の神事や祭事
お神楽や御神輿、屋台が出るお祭り
五穀豊穣を願い神様たちに歌や踊り
お供え物を捧げ
皆でお祝いをしました。
最近では、地域の神社のお祭りでは
屋台がぽつぽつとしか出ておらず
高齢化が進み、若い世代には継承されず
日本人にとってみじかな存在だった八百万の神々たちは
もはや伝説の存在か一種の都市伝説に近くなっており
本来なら連綿と受け継がれていく筈だったものが今消え行こうとしています。
新築の家には神棚がない家が多く
その必要せいすら問われなくなりました。
置かなくなった理由は
「めんどくさい」
「格好が悪い」
「恥ずかしい」
そして、神様の存在が薄れつつあるのが現状です。
お正月にはお参りに行き
子どもが産まれるとお宮参りはする
何かある時には神頼みをする
なのに神棚や神様という言葉は敬遠する
変な風習が蔓延っています。
これには遥か昔にこの世の取り決めを交わす契約が関係しているそうです。
目に見えないものから遠ざかる様。
私の見解ですが、これには
大地や人の力を弱める意図が感じられます。
ソニーは「見えない力」を研究し、ロシアや諸外国では国家で支援し
「目に見えない力」を国家資格として扱っている所も現に存在するのです。
そして、世界各国で執り行われている様々な
施策があるのをご存知でしょうか。
何故日本の各家庭にお札が配られ
火の神様
水の神様
台所の神様
トイレの神様
等
各場所にお札は貼られ神棚が設置され
大事だよ。怖いよ。と祖父やそのまた曽祖母等が伝えてきたのでしょう。
昔から在るものには意味があるのです。
社長さんや、世界のトップクラスの方達は皆知っています。
「目に見えない力にこそ力は宿るのだと」
ある統計では
神棚のない会社の倒産率は72%もしくはそれ以上とも言われています。
これは何を指すのでしょうか?
家に神棚を置き
神様においでて戴くとそこに住む
家族を守ってくれるのです。
私は、2年前に神棚のある一軒家から、ハイツに引っ越しました。
きれいにしてもきれいにしても周囲からやってくる念や、
負のエネルギー、誰かが連れ帰った霊がやってくるのです。
子供は匂いで分かるらしく、臭いと言っていましたが
簡易ですが神棚を置き降神祭をした後では
「前は臭い時があったけど、今はなくなった」
神棚の前が一番落ち着く、ほっとすると言います。
神棚を置き、神様に降臨してもらう降神祭を執り行うことは
安らげる我が家を手に入れること。
家の空気が変わり、守ってもらえるということです。
そして私たち親子は楽に過ごせる様になりました。
一軒家なら、併せて地鎮祭を行うのが良いでしょう。
何故今、神棚なのか
「現代の日本人には守りが少ない」
⚪️土地の神様に挨拶に行かない
⚪️地鎮祭をしない
⚪️家に神棚がないもしくはそれに変わる様なものを祀っていない
⚪️先代の先祖供養がきちんとされていない
昔は、神様とお話ができ意思を確認することができる
神主さんや太夫さんと呼ばれる方がたくさんいたものですが
近年、卒塔婆は印刷の時代になり
お坊さんの大学を出たての方が為さります。
力のある方や見えない存在と繋がれる方は確かに居るのですが
昔と比べてその数はいかがなものでしょうか
そして、最近SNSで目にする様になったのは
「偽物注意」
悲しい話です。
その結果
最近特に耳に入る様になったのは
「家を建てたら何かある」
昔からも言われていた事ですが
最近特に耳にする事が多くなりました。
家族の健康が悪くなった
怪我をする様になった
調子が悪い等々
方位を気にすることもなくなり
家を建てる時にも良い年回りは伺わず
その土地の持つ気も気にしない
地鎮祭は行うが目に見えない存在に届いてない地鎮祭
そもそも目に見えない存在をおろそかにする傾向が著しい
それらは何を生み出すのか
もはや考えも及ばないのか昨今です。
神様に愛され守られる方法
よく聞かれる事があります
「神様って穏やかで何でも許してくれるんじゃないの?」
その答えは 否 です。
そう答えると今度は
「えー、だって神様ってそういうもんじゃないの?」
「それが神さまなんじゃないの?」
です。
神さまにだって、感情はあるし
人間と同じように礼儀を欠くと怒るのです
昔から、仏の顔も三度までということわざもありますね
しかも神さまだけに、ないがしろにされたりしたその怒りは
私たちに降りかかる事もあるのです。
それを鎮める方法もあります。
こんな話が各地にあります
神社や御神木を切ったり解体すると障りがある
火事があった、事故があった、不幸があった等々です。
ある地域では神主さんを雇って御神木を切りました。
ある地域では神社を解体しました。周りの木も一緒に切り倒し近所の人の
生活に利用したそうです。
その後、上記の様にその地域の人だけに連続して何人も障りがあったそうです。
家を建てると何かある
「あそこの家は家を建ててから色々あるよね」
等、一度は耳にした方も多いのではないでしょうか
障を放って置くとこんな事があります
⚪️離婚した
⚪️家庭が不和になった
⚪️何やってもうまくいかない
⚪️病気をした
⚪️事故にあった
⚪️病院に行っても原因が分からない等々
数え上げるとキリがないですし、障は怒っている方の気がすむまで
だったりしますから一回で終わるとも限りません。
血縁関係にも飛びますので酷く怒らせた時は命を取られる事もあります。
ご依頼者の方には様々な事で悩んでる方がいらっしゃいますが
「障りがある」と聞いて理解する方は70歳以上の方が多いです。
「昔、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことがある」
という方もちらほらいますが、昔々は当たり前に理解されていた事
「病院に行ってもどうにもならない物は太夫さんにお願いを」
というのが口伝えで伝わってますが
だんだん口にするのも恥ずかしい事になり
現代では「どこに行ったらいいか分からない」
等教えてほしい時に教えてもらえる事も限られてきました。
子どもが泣いているのに
夫婦中が
病気や事故怪我ばかり
火事にあった
昔から立て続けに何かが起きる時には
太夫さんや祈祷師さんに駆け込んだものですが
現代では語り継がれることが少なく
「知らない事が損な事」
に変わってきたのです。
昔、あるスピリチュアルの人からこんな事を聞きました。
「良いことがたくさんきてもその中でも
大変な大きなことがやっぱり起きると」
それは、障りをそのままにして過ごしているからなんでしょうけど
今は知らずに「仕方がない」で済ましてしますのです。
私が活動を始めてから、「誰かの力になれたらいい」と思い
友人に話しました。
突然そんな事を話された友人は驚いてました。
その時は表立って批判はされませんでしたが
受け入れてはもらえず、宗教扱いもされました。
後で悪く言ってたよと、口伝えで聞きました・・・
最近、高名な方もサイトやブログの中で「偽物注意」とありますので
多くの中の一部と混同されたのでしょうね。
なので、本当に信頼できる人にしか打ち明ける事ができなくなり
何処かで私の事を聞いた友人からは
打ち明けてもらえなかったと怒られました。
このように、何度も、何度も・・・
理解されず、凹むようなこともありましたが
「誰かの力になれたらいい」
「神様に愛され守られる人を少しでも多くしたい」
そんな思いだけでこの活動を続けてきました。
・・・
そして、幾星霜を重ね気がつけば
どうでしょう!
今では「神様に愛され守られる人」が
私の周りのは増え続け
私も、「神様ごと」だけで
家族と共に幸せに食べていけるようになりました。
神様や私を信じてくださった方々に
感謝する毎日です。
本当にありがとうございます。
障とは?
神さまは私たちにとって
便利で困った時だけにお願いする様な都合のいい存在でもなく
神さま一人一人に私たちと同じように個性があります。
それは、古事記や神話からでも十分に分かるのではないでしょうか。
知らず知らずに侵してきた罪達は現在もあなたに降りかかっています。
それを障りというのです。
何故人は家を建てると地鎮祭をし、神社に行くとお祓いをするのでしょうか?
それは、大地に許しを請い、建物に在わす神様達に御挨拶をし、
今まで溜まっている罪穢れを祓っていただくためでもあります。
そして、赦しを戴くのです。
神様に愛され守られるということはそれだけで
人生が今までより生きやすくなるということです。
人は生きているだけでエネルギーを常に振りまいています
それは、物や食べ物、森や木、そこに落ちている小石にまで至るのです。
私たちは毎日、何かと接触します。
朝から家族に会い食事をし、外に出れば大勢の人とすれ違い、
乗り物に乗り様々な場所に赴きます。
引きこもりの人でさえ家から、SNSからも影響を受けます。
そして自分の感情にもエネルギーは存在するのです。
人間ですから、常に良いエネルギーを発信している
訳でもないのですが気をつける事は出来ます。
例えば、あなたは車に乗って仕事に出かけました。
途中、交通規制になり渋滞に巻き込まれました。
長い渋滞が嫌になり、あなたは脇道に逸れることにしました。
脇道に入ると道路工事がやっていて、更に回り道になり
次の道では交通事故があり、通ることができませんでした。
途中車をぶつけてしまい、最後には、会社に大幅に遅れ
上司や周りから冷たい視線や仕打ちを受けることになりました。
何をやってもうまくいかない、
空回りし、裏目にでてしまう事など
この状態も障りや穢れの状態です。
この状態を解消し
あなた本来の輝きで人生を謳歌し
更には神様から愛され守られる人生を選んではみませんでしょうか。
神様にも人間と同じように感情があり
自分がされて嫌な事はやはり神様も嫌なのです。
愛情を示され信頼を寄せると喜んでくれます。
私たちが住んでいる地球は人間だけのものではないのです。
神様以外にも沢山の存在達が住んでいます。
竜は馴染みがあるかと思いますが
目には見えないだけで
想像上の存在とされる方々のほとんどが存在しているのです。
死にたいって思ったことありませんか?
かくいう私も物心がついてからは
頭がおかしいのではないかと思い
生活の中に神様たちの存在は殆どありませんでした。
子供が生まれ、霊に翻弄されるまでは
とびきりの現実主義でした。
今は存在達を受け入れましたが、それまでは
小さい頃から入退院を繰り返していたので
時々学校へ行くけれど馴染めず、登校拒否するも家にも帰れず
サバイバルをして過ごしたり、家は家庭崩壊が起きていて
「いらない子」
「何で生まれてきたの」
「生まれて来なければ良かったのに」
と両親から疎まれ小学校二年生の時の夢が「死にたい」でした。
なので小学校のうちに自殺未遂3回
20歳までに交通事故6回
その他にも命を落としかけた事3回
と、生きる事を諦めていた私はずっと死と隣り合わせでした。
高校生の時バイクで車に猛スピードで顔面から突っ込んでも
崖にとんでもないスピーでで突っ込み背骨を折るような事故をしても
18歳の時42度を超える大熱を1週間出し
耳が聞こえにくくなっても 死ねなかったので
小学二年生から死にたいと思っているのに
どうしても死ねないという事で
何かやり残した事があるんだなと気が付き考え方を改めたら
死ぬような体験をする事はなくなりました。
3歳の時に給食で使う沸騰したての
大きなやかんの熱湯を頭から浴び
ミイラのようなぐるぐる巻きで何ヶ月か入院していたけれど
傷跡一つ残ってない奇跡を経験していた事も後押しし
何かきっとやる事があると確信していました。
世の中のいわゆるドロドロしたものばかり
入ってくる状況だったので昔から〇〇戦隊みたいな
「ヒーロー」に憧れ非現実的なテレビや映像の中の
嘘のない世界が一番綺麗なもので
死ぬのにも、ただ死ぬのではなく
誰かの代わりに死ねたら何かの役に立って死にたい
と思っていました。
小学生で襲われた経験もあったり(未遂)して男性恐怖症になったり
病院でも原因が分からないもので苦しんだり
仕事場までメールが来るようなストーカーがいて苦しかったり
乳飲み子を連れてたらい回しにあうような
離婚も経験をして対人恐怖症になったりもしたけれど
今では小学生の二人の子を持つ親として死ねないなと思えるし
困った時には優しい方達や存在達がいてくれてやっぱり
助けられてきたなと思えるし、今でも子どもと
一緒に特撮ものを見て昔とは見方の変わった
自分も確かにいるけれど、やっぱり熱くなるし
「ワンピース」とかのいわゆるヒーローが好きで
生き様に勇気もらっているから
何かの力の一つにでもなれないかなと
試行錯誤しながら生きている感じです。
そして、何よりも
鳳珠として活動してきて
今まで経験してきた事が今では宝物だと感じ、
自分が当時欲しかったものが少しでも
同じ状況にいる人の力になれたらいいなと。
こんな私でも日々恵まれて
「生きてるって素晴らしい」と思えるから
次は、あなたとあなたの大切な人の幸せの
お手伝いをしたいと心に誓っているのです。