こんにちは、初めまして鳳珠ほのいと申します。さて、何から話しましょうかという感じなんですが、まずは自己紹介からですかね。それも名前についてです。
鳳珠 ほのい
という名前なんですが
珠は私の魂の名前の1つなんです。
(私のお師匠さんみたいな人が魂の名前がわかる方で教えていただきました。)
何をどうしようかなと考えていたら
「鳳」という文字が降りてきました。
上から降りてきて目の前に浮かび上がった感じです。視界がぼやけていきなり上から大きな「鳳」の文字が降りてきた時には感動と、「おお、まじか!」と思いました。そもそもの珠という文字も「これだよ」という教えてもらっている感じでした。そして、ほのいは名前鑑定もでき活躍している大好きな人につけてもらいました。
そうやって「鳳珠ほのい」は出来上がりました。
鳳珠ほのいとして活動を始めてから約5年たちますが口コミだけで1000件を軽く超える依頼を受けてきました。
「ありがたいことに連絡するだけでほっとする。」
依頼「できるだけでありがたい。」
「その時はあまり実感なかったけど一年前の自分が嘘みたい!」
「今絶好調です!」
と言っていただけています。
でも、信じていなかったり、疑心暗鬼でいる方たちにはお応えすることは叶いません。相手は私のように人ではないのですから。また、その話も書かせていただけたらなと思っています。
何故、「鳳珠ほのい」として活動を始めたのか
そもそも昔から見えてたり話してたりはあったのですが、段々大きくなるにつれて私は頭がおかしいのかもと思い思いっきり現実主義になっていたつもりでした。
それが
当時3歳の息子が裏の勝手口(サザエさんでいうところの三河屋のさぶちゃんが出入りしている所です。)に向かって話しかけたからです。
「おじいちゃんばいばい」と手を振りました
最初にその行動を見た時には、目を大きく見開いて固まりました。人間、衝撃が大きすぎると動けなくなるものなんですね。それから、2、3日に一回声かけは始まりました。そして毎日語りかける様になりました。1週間続いた時にこれは!あっちの世界に連れて行かれる!!という恐怖を覚えその当時お世話になっていた太夫さんに頼んでお守りをいただきそこから二度と話しかける事はありませんでした。
当時、私はストーカーに被害に会っていて、子どもが小さいのでいつ家まで来られるかとか、丁度子どもと一緒にいる時だったらどうしようとか、すんごい考え家でも散々な状況だったので、信じられなさ真っ只中で周囲にいる人を、友達でさえ信じられなくなっていました。(子どもが小さいうちは母親は、脳が変化しお母さん脳になると聞いていましたが、あれはほんとでした。)
なので
初めて、どん底の人間不信になり周囲を初めて怖いし憎いと思った事でした。
その当時、私は子どもだけ助けれたらいいと思っていました。
それまで、自分で言うのも何ですが自分より他人優先で生きてきました。それが当たり前だと思っていたからです。でも、子どもが生まれ自分の子どもと他の人の子どもが同時に転んだ時に私は他の人の子どもを助けてしまいました。そんな自分が物凄く気持ち悪かったのを覚えています。
何か逸れましたが、とにかく他の人の事ばっか考えてた私は初めて他の人が嫌いになり信じられなくなりました。丁度、ひどい事が4つくらい重なっていた事もあって
「何かあってもだーれが助けてやるもんか!!」
とそこまで思ってたかどうかはわかりませんが、どん底の私は、ある社長さん夫婦と地域のおじいちゃん達に救われました。
もう何十年も生きてきて世の中の世知辛さも何もかも体験しているだろう方々でした。
何の特にもならないのに、
たった一回しか使うことのないイベントのためだけに一緒に何回も山に入り鬱蒼と茂る山にいくつも道を作ってくれました。
何の見返りもないのに、
人のためにと尽力され、果ては一生懸命夫婦で築いてきた会社を今から頑張る若い赤の他人さんに譲るというお話までありました。
何でしょうね、うまく言葉にできないですが、そこに感じるあったかいものを
その方達が話す言葉の端々には
心があり
重みと暖かさもあり
人ってすてたもんじゃないなって
思えるものをくれました。
その人達の半分も生きてないのになーに、いっちょ前に簡単に落ちて悲劇のヒロインするんじゃないよって思いました。その人たちはきっと這い上がってきたんだよなって。その心を持ったまま、何十年もいれるんだっていうことに泣けてきました。
「目から鱗」ってやつですね。
我が子だけでも助けれるように
↓
家族だけでも
↓
友達だけでも
↓
自分の手の届く所だけでも/友達の周りの方だけでも
↓
と、優しさに触れるうちに変化して、大の人間不信で落ちていた私が、
手の届くかたをと心から願い「鳳珠ほのい」となりました。
振り返って思う事は試されていたんでしょうね。
「鳳珠ほのい」としてやっていけるかどうかを。
何にせよ、今は誰かの力になれることができている現状を嬉しく思っています。
昔、まだ小さかった私は訳のわからない高熱を出したり事故や怪我をしたり太夫さんにお世話になる事が多い子どもでした。
その時言われたのが、「神様に愛された子ども」でした。なのでどうする事もできないんだと。その時八方塞がりと言われたり、その太夫さんは力のある方でしたが欲しいものは与えられませんでした。それでも居てくれた事に安心を覚えていたのも事実です。
その後も何人かの方に会いに行きましたがどうすることも出来ずでした。今、私はいろんな能力のある方と知り合う事ができ、友達になりました。あの時こんな人たちが欲しかった、知っていたらと何回も思いました。それを友人に話したらその友人が「私はあなたが居てくれてこんなに心強い事はない。ありがとう」と言ってくれ泣けました。私はそんな人になっていきたいと思う事が出来ました。
そこに感謝や気持ちがあれば、どこでどんな力を貰ってもお借りしてもいいんだと私は思います。
どうか、あなたにご縁のある場所に行けてあなたが助かっていくようにと願っています。
口下手なのでお会いすると思うようには伝わりにくいのですが、ここにあった出来事や日々の施術で感じた事なんかを載せさせてもらっていきますね。心に何かを感じていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。